悩んでる暇なんかない!人生のすべてはトレードオフだ
今日は「人生の全てはトレードオフ」っていう話をしようと思います。
そもそもトレードオフというのは、「こっちを実現しようとするとこっちは実現できないみたいな」状況を指します。
例えば「co2削減すると経済成長が鈍る」みたいな、
そういうのをよく「環境保全と経済成長はトレードオフなのか」っていう言い方をします。
日本語で言うと二律背反とも言いますね。
要するに、何かを達成するために何かを諦めなければいけないっていう状態のことをトレードオフといいます。
環境問題とか、あとまあ僕が専門にしてる分野で言ったら行政のお金の使い道とかもそうですね。
税金を集めて公共政策に使うわけですけれども、集まった税金を全部介護に使ってもダメだし、全部教育に使ってもダメだし、全部建設に使ってもダメだし、みたいな。
全部を頑張るっていうのは無理なので、なんかしらの選択っていうのが発生するんですね。
このように何かのために何かを諦めなければならないっていう場面はどんな分野でも必ず出てくるわけです。
《個人の生活もトレードオフ》
それはさっき例に挙げたような社会全体のマクロな意思決定だけじゃなくて、個人の人生の中でもそういう事ってこういっぱいあるんじゃないかなと。
そう思って記事を書き始めました。
めちゃめちゃシンプルな話なんですけれども、寝てる間っていうのは勉強することはできないですよね。
テスト前とかだったら特にいっぱい勉強をしようとか思うこともあるんですけれども、でも睡眠時間を削りすぎると体力的に持たないし、みたいなことが起こります。
勉強してる時間は寝れないし、寝てる時間は勉強できないわけです。
《もう少し大きな視点》
もうちょっと他の例で言うと、例えば学校行ってる間は会社に行けないですね。
中学までは義務教育なのでまあみんな学校行ったらいいかなと思うんですけれども、ここ以降は一応法律的には学校に行かなければならないわけではないので、
例えば人によっては高校に行くよりも中卒で働いた方が有意義っていう人もいるかもしれないですね。
全く逆の例で言えば仕事したら学校行けなくなりますから、お金は稼げるかもしれないですけれども良い環境で教育を受けるっていうことは難しくなります。
やっぱりあれもこれもしようって思うとできないわけですよ。
《「あれもこれも」を阻むもの》
やっぱり何かを諦めなければならない時っていうのが必ずある。
それは何故かって言うと、時間が戻ってこないからです。
時間が無限にあれば めちゃめちゃ勉強してめちゃめちゃ寝てみたいなこともできるのかもしれないです。
でも実際は時間は返ってこない。
体力を使うともちろんしんどいんですけれど、休めば体力は回復します。
でも時間は休んでも回復しません。
森林破壊が起こっても また木を植え直せば、もしかしたら元に戻せるかもしれない、もしかしたら前よりも豊かな自然が作れるかもしれないです。
でも時間は戻ってこない。
植林作業をしようが、すごい公共政策を考えようが、睡眠をとろうが、
時間っていうものは絶対に帰ってこないわけです。
《時間という絶対的な再生不可能資源》
時間は再生不可能リソースなんです。
もう石油とか石炭とかそういう次元じゃないレベルで絶対に再生不可能なリソースなんですよ。
これから先の人生で夏っていうのは何度もやってくるのかもしれないですけれど、18歳の夏はもう二度とやってこないんです。
《今までどれだけの可能性を捨ててきたか》
そう考えると、僕たちの今の人生っていうのは、ものすごくたくさんの選択肢を切り捨てて今にたどり着いてるわけですね。
僕は高校を出た後浪人して、大学に入って、その大学も辞めて、しばらくフリーターして、また大学行って、ほぼフリーターで、みたいなことしてるんですけれども、
あくまで可能性ベースの話で言えば、もう高校在学中に何かビジネス始めててもおかしくはなかったわけです。
ただ自分がそれをしなかったっていうだけの話なんですよ。
もしかしたら大学行かずに、何か自分の打ち込めるものをやった方が良かったのかもしれない。
もしかしたら勉強を頑張るよりもコネクション作りを頑張ったほうが今もっと豊かになってたのかもしれない。
全部あくまで可能性の話なので、そうしていたら今どうだったかということは確かめようもないんですけれども。
《その結果たどり着いた今》
でもそうやって今までにたくさんの選択肢を切り捨ててきて、いろんなものを諦めてきて、そうやってたどり着いた今の自分っていうのが間違いなく存在するんですよ。
僕はそうやってたどり着いた今の自分が別に嫌いではないですし、かといって誇りに思ってるわけでもないんですけれども、とにかくオンリーワンの存在であることは確かです。
だから今まで捨ててきた自分の選択肢や、なっていたかもしれない自分、あり得たかもしれない将来も含めて、今の自分は頑張って行かないといけないなって思っています。
《自分のもっている大切なもの》
そして、そうやってたくさんの選択肢を切り捨ててきた中で、お世話になった人や今でも付き合いのある人達っていうのは本当に大切なんだなって思います。
いつどのタイミングでその人の中で僕の存在が不要になってもおかしくはなかったわけなので、
まあ色々ありつつも今もお付き合いを続けてくれてる人っていうのはすっごく大切な宝物なんだなって思います。
《そして今思うこと》
だからそうやってたくさんの犠牲を払って、たくさんの可能性の屍の上に立ってる今の自分っていうのは本当にかけがえのない存在だと思ってますし、大切にしたいです。
それと同時に、何か自分の人生について言い訳しすぎじゃないかなとか、自分で自分のやる気を殺してないかなとか、時々そう思うことがあるので、
過去の自分にも未来の自分にも誇れる今の自分っていうのを作っていきたいなと。
そういう存在でありたいなと思って、今日も元気に大学行って、服屋で服を売って、家に帰って文章を書いています。
ものすごい才能があるわけでもないですし、ものすごい実績を持っているわけでもないんですけれど、毎日必死にやっているのでこれからも応援よろしくお願いいたします!
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そもそもトレードオフというのは、「こっちを実現しようとするとこっちは実現できないみたいな」状況を指します。
例えば「co2削減すると経済成長が鈍る」みたいな、
そういうのをよく「環境保全と経済成長はトレードオフなのか」っていう言い方をします。
日本語で言うと二律背反とも言いますね。
要するに、何かを達成するために何かを諦めなければいけないっていう状態のことをトレードオフといいます。
環境問題とか、あとまあ僕が専門にしてる分野で言ったら行政のお金の使い道とかもそうですね。
税金を集めて公共政策に使うわけですけれども、集まった税金を全部介護に使ってもダメだし、全部教育に使ってもダメだし、全部建設に使ってもダメだし、みたいな。
全部を頑張るっていうのは無理なので、なんかしらの選択っていうのが発生するんですね。
このように何かのために何かを諦めなければならないっていう場面はどんな分野でも必ず出てくるわけです。
《個人の生活もトレードオフ》
それはさっき例に挙げたような社会全体のマクロな意思決定だけじゃなくて、個人の人生の中でもそういう事ってこういっぱいあるんじゃないかなと。
そう思って記事を書き始めました。
めちゃめちゃシンプルな話なんですけれども、寝てる間っていうのは勉強することはできないですよね。
テスト前とかだったら特にいっぱい勉強をしようとか思うこともあるんですけれども、でも睡眠時間を削りすぎると体力的に持たないし、みたいなことが起こります。
勉強してる時間は寝れないし、寝てる時間は勉強できないわけです。
《もう少し大きな視点》
もうちょっと他の例で言うと、例えば学校行ってる間は会社に行けないですね。
中学までは義務教育なのでまあみんな学校行ったらいいかなと思うんですけれども、ここ以降は一応法律的には学校に行かなければならないわけではないので、
例えば人によっては高校に行くよりも中卒で働いた方が有意義っていう人もいるかもしれないですね。
全く逆の例で言えば仕事したら学校行けなくなりますから、お金は稼げるかもしれないですけれども良い環境で教育を受けるっていうことは難しくなります。
やっぱりあれもこれもしようって思うとできないわけですよ。
《「あれもこれも」を阻むもの》
やっぱり何かを諦めなければならない時っていうのが必ずある。
それは何故かって言うと、時間が戻ってこないからです。
時間が無限にあれば めちゃめちゃ勉強してめちゃめちゃ寝てみたいなこともできるのかもしれないです。
でも実際は時間は返ってこない。
体力を使うともちろんしんどいんですけれど、休めば体力は回復します。
でも時間は休んでも回復しません。
森林破壊が起こっても また木を植え直せば、もしかしたら元に戻せるかもしれない、もしかしたら前よりも豊かな自然が作れるかもしれないです。
でも時間は戻ってこない。
植林作業をしようが、すごい公共政策を考えようが、睡眠をとろうが、
時間っていうものは絶対に帰ってこないわけです。
《時間という絶対的な再生不可能資源》
時間は再生不可能リソースなんです。
もう石油とか石炭とかそういう次元じゃないレベルで絶対に再生不可能なリソースなんですよ。
これから先の人生で夏っていうのは何度もやってくるのかもしれないですけれど、18歳の夏はもう二度とやってこないんです。
《今までどれだけの可能性を捨ててきたか》
そう考えると、僕たちの今の人生っていうのは、ものすごくたくさんの選択肢を切り捨てて今にたどり着いてるわけですね。
僕は高校を出た後浪人して、大学に入って、その大学も辞めて、しばらくフリーターして、また大学行って、ほぼフリーターで、みたいなことしてるんですけれども、
あくまで可能性ベースの話で言えば、もう高校在学中に何かビジネス始めててもおかしくはなかったわけです。
ただ自分がそれをしなかったっていうだけの話なんですよ。
もしかしたら大学行かずに、何か自分の打ち込めるものをやった方が良かったのかもしれない。
もしかしたら勉強を頑張るよりもコネクション作りを頑張ったほうが今もっと豊かになってたのかもしれない。
全部あくまで可能性の話なので、そうしていたら今どうだったかということは確かめようもないんですけれども。
《その結果たどり着いた今》
でもそうやって今までにたくさんの選択肢を切り捨ててきて、いろんなものを諦めてきて、そうやってたどり着いた今の自分っていうのが間違いなく存在するんですよ。
僕はそうやってたどり着いた今の自分が別に嫌いではないですし、かといって誇りに思ってるわけでもないんですけれども、とにかくオンリーワンの存在であることは確かです。
だから今まで捨ててきた自分の選択肢や、なっていたかもしれない自分、あり得たかもしれない将来も含めて、今の自分は頑張って行かないといけないなって思っています。
《自分のもっている大切なもの》
そして、そうやってたくさんの選択肢を切り捨ててきた中で、お世話になった人や今でも付き合いのある人達っていうのは本当に大切なんだなって思います。
いつどのタイミングでその人の中で僕の存在が不要になってもおかしくはなかったわけなので、
まあ色々ありつつも今もお付き合いを続けてくれてる人っていうのはすっごく大切な宝物なんだなって思います。
《そして今思うこと》
だからそうやってたくさんの犠牲を払って、たくさんの可能性の屍の上に立ってる今の自分っていうのは本当にかけがえのない存在だと思ってますし、大切にしたいです。
それと同時に、何か自分の人生について言い訳しすぎじゃないかなとか、自分で自分のやる気を殺してないかなとか、時々そう思うことがあるので、
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