投稿

9月, 2018の投稿を表示しています

緑間真太郎「倒れることなど何も恥ではない! そこから起き上がらないことこそ恥!」

イメージ
こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。 タイトルは漫画『黒子のバスケ』の21巻、秀徳高校 VS洛山 高校の試合中の緑間真太郎のセリフです。 秀徳高校の緑間は、中学時代のチームメイトだった赤司征十郎率いる洛山高校と対戦し、圧倒的な実力差を見せつけられることになります。 でも諦めません。試合終了のブザーが鳴るまで全力で走り続けます。 そんな中、心が折れそうな自分をあと一歩奮起させるセリフ。 「 諦めるな…! 倒れることなど何も恥ではない…! そこから起き上がらないことこそ恥…! 」 結局逆転することはできず秀徳高校の敗戦となるのですが、グッと熱いものがこみ上げる試合でした。 それに関連して、ひとつ記事になりそうだなと。 《人生における‘‘倒れること‘》 スポーツの世界だけでなくて、普通に生活してる中でも失敗して心が折れそうになることが何度もありますね。 いじめにあうとか、不登校になるとか、学校を中退するとか、訳も分からず彼女にフラれるとか、日常生活の中で”倒れること”はいつでも、誰にでも起こりうる話ではあります。 《倒れないに越したことはないけれど・・・》 まず考えるべきなのは、「倒れないためにどうするべきか」ですね。 事が起こってから対策を練るのはとても労力がいるので、予防的な対策をできることが一番いいです。 起こりうる危険を予測して事前に手を打っておくことが望ましいです。 でも思うに、「一生倒れないこと」は不可能なんじゃないか と。 中学校は楽しかったけど高校では上手くいかない、高校では上手くいったことが大学では通用しない、社会人になってから、後輩ができてから、家族ができてから、・・・ 人生の色んなタイミングでそういった躓きが存在するんですね。 倒れないための予防を頑張りつつ倒れたときのリカバリーも考えないといけない ですね。 《「どう立ち直るか」を学ぶことも必要》 だから、落ち込んだ時の立ち直り方、倒れたときの起き上がり方を学ぶこともすごく大切なんですね。 先輩や友人からアドバイスを貰うもよし、

教師だって学びの途中!お互いに高め合う”学び合い”の場をつくろう

イメージ
こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。 自分自身が学生でありながら、塾で人に勉強を教えていたりすると、なんだか教えるのも教わるのも大変だなあと思いますし、上手くいっていない授業というのは学生の側にも先生の側にも問題があるなあと思います。 授業態度とか能力とかの問題ももちろん大きいんですけど、それ以前に”仕組み”の方にも問題があるなあと。 学生と先生の両方の視点から教育というものを考えたときに、「こんな風に学びの環境を作っていきたい」という気持ちが出てきたので、備忘録も兼ねて記事にしておこうと思います。 《「先生 / 学生」は「教える / 教えられる」の関係ではない》 まず大前提として、この「教える人」と「教えられる人」という区分から間違っているように感じます。 僕が先生として教えている時でも、 生徒からの質問に答えているうちに自分の中に無かった発想が出てきたり、自覚もしていなかった感情や言葉が出てきたり、疑問にすら思っていなかったことを改めて考えたり、なんてことがかなり頻繁にあります。 要するに、 教える方が余程良い学習をしている ということです。 塾で教えて、多くの生徒の成績が上がってきたんですけど、実は一番勉強になっているのは僕なんじゃないかなと。 僕が一番賢くなっちゃった な、という感じがします。 それに、「テストにおいて何が正解か」ということは圧倒的に僕の方が知っているのですが、「この話を聞いて何を思ったか・感じたか」ということに関しては、生徒たち一人一人が一番よくわかっています。 そこに関しては僕が入り込む余地は全くなくて、一人一人の主観に依るものであります。 教科書に載っていることや僕が話していること自体はみんな同じなので、 何か重大な差がつく部分があるとすれば受け手がどう感じるか なんですね。 そして、会話はキャッチボールなので、僕の授業に対して生徒がその人オリジナルの感想や質問を発する、それについて考えていく中で僕にもオリジナルの何かが生まれる、ということを繰り返していくのです。 そう考えていくと、「教える人」と「教えられる人」という区分からはずいぶんと乖離した状態になっていて、

「常識的に考えてそんなことしない」常識って何?

イメージ
こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。 例えばの話、電車や公園などの公衆の面前でイチャイチャするカップルを見てどう思いますか? 「人前でそんなふしだらな!けしからん!」と思う人もいるでしょうし、 「海外では普通だし、別に良いんじゃない?」と思う人もいるでしょう。 どちらの主張にも根幹には「自分の思う普通な事との比較」というのが横たわっています。 この”普通””常識”という言葉は大層曲者ですね。 《あなたの常識はいつのものか、どこのものか》 「普通に考えて・・・」「常識的に・・・」 という言葉はとても一般的でよく使う文句でありながら、一方でほぼ何も説明していないに等しいです。 「人前でイチャイチャするのは非常識だし無礼だ」と考えるのは昔からの日本の常識ですね。 奥ゆかしさや品性を大切にする文化から導き出されるものです。 一方で「恋人同士が愛情表現をするのは普通のこと。人前でキスしても問題ない」というのは欧米では普通のことですね。 パリとかでキスしてる人を見ても特に何とも思わないです。 近年はグローバル化が進み、日本人が海外に行くこともあれば、外国人が日本に来ることも沢山あります。 人も文化も混じり合っているので、当然ですが”普通の感覚”も混じり合っていきます。 だから日本の常識や価値観が変わっていくこと自体は何ら不思議ではないのです。 《常識 -common sense とは》 語学的には、日本で「常識」という言葉が使われてきた歴史はそれほど深くはありません。 開国後、英語のcommon senseを日本風にアレンジしたのが「常に存在する意識=常識」なのです。 そして、このcommon senseという言葉を辞書で引くと、 the basic level of practical knowledge and judgment that we all need to help us live in a reasonable and safe way (Cambridge dictionary ) the ability to behave in

苦手科目を克服する方法。好きこそものの上手なれ

イメージ
こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。 受験勉強とかをしていると、苦手科目ってどうしても出来てきますよね。 「自分は文系だから数学が苦手」 「古典なんて役に立たない」 そういった声は途絶えることがありません。 参考: 文系だから数学苦手?本当にそうですか? 僕はシンプルに古典が苦手でした。 助動詞の活用とか文法的意義とか、全然わかりませんでした。 逆に苦手とする人が多い理科や数学は割とできました。 はて。 苦手科目ってなんだろう。 考えてみれば、世の中には万人に共通する”苦手科目”というものは存在しない んですね。 僕の得意科目が誰かの苦手科目だったりする。 つまりこの 得意・苦手という概念に普遍性はなく、すべて個人の主観に委ねられている のです。 分かりやすく言うと、苦手科目というものは予め存在するものではなく、 自分が苦手と感じた科目が苦手科目になる。 要は自分自身で苦手科目を作り出しているんですね。 自分が苦手と思ったものが苦手科目です。 そう思って 自分の勉強を振り返ると、古典が得意か苦手か以前に、古典に対してそれほど勉強時間をあてていなかった んですね。 苦手なんじゃなくて、 ”努力を怠っている” そして、どうして努力を怠ったのかと考えると結局は ”好きじゃないから” という所に行きつく。 好きじゃないから勉強しないし、勉強しないから点数が上がらない、苦手になる。苦手だから楽しくない。 シンプルな話です。 ここまで来たら苦手克服の糸口は掴めています。 要するに、 好きになればいい 。 基本の文法用語の暗記とかは後回しにして、面白さを感じるトピックに触れたり、この話は興味あるなというものを深掘りすればいいのです。 好きとか嫌いとか関係ない!受験に必要だからやるんだ!というようなストロングハートをもって勉強してきた方もいるとは思います。 受験の為に一直線に努力できる人は別に良いのですが、残念ながら僕はそういう人間ではないのでこれが一番でした。 具体的に言えば、徒然草ばっかりずっと読んでいました。笑 「徒然草がわかる」みたいな解説本