投稿

僕は視野が狭い。自分と似たような人としか出会っていない

最近ちょっと考えていることがあって、
日本の統計とかいろんなデータとか見てて、進学率のデータを見ながら考えていたんですけれど。

まあ高校進学率が98%とかで、大学進学率が50%超えてて、高学歴化が進んでるんだなーって思いはあるわけです。

ただ逆に、
大学進学率で50%そこそこなんだ!
って思って。





その、50%ってことはシンプルな話、100人とランダムに喋れば 50人は「大学行ったことないです」っていう人と出会わないとおかしいはずなんです。
そんなことはないよなーと思いまして。



あくまで僕の感覚ですけれども、僕の生活圏の中でランダムに100人しゃべったら90人ぐらいは大卒もしくは大学在学中になるんですよね。



別に「俺の交遊関係は高学歴だぜスゴいだろ」みたいな話がしたいんじゃなくて。






僕自身もね、浪人したり、留年したり、中退したりして、
その中で色んな仕事とかもして、
結構いろんな人と出会ってきたと思っていたんです。




「勉強教えて!」って色んな人に言われるので、
浪人生だったり、ホストだったり、10歳も20歳も上のおじさんだったり、
いろんな人に勉強を教えてきたと思っていたんです。


でもそれって、あくまで大学っていうのに入ってた人か、もしくはそれを視野に入れてる人 としか出会ってないということに改めて気がつきました。



これはその、みんなも大学に行った方がいいよとか、そういう話をしてるんじゃなくて。



結局何が言いたいかって言うと、いろんな人と出会ってきたつもりでも結局自分と似たような人としか出会ってこなかったんじゃないかっていうことなんですよね。



そういうことを最近思い始めて、
あくまで自分の見てる世界で、
自分の知ってる人達で、


僕の感覚っていうのは作られてるわけです。



結局自分と似たような人としか出会ってないんだなーって思って。
もしかしたらどこかで出会ってはいるのかもしれないんですけど、まあしゃべってはないなと。




そうしたらなんか、
僕が今知ってることっていうのも高が知れてるし、
ましてやこれから出会う人のために、
まだ出会ってもない人のために何かをしようなんて、

逆におこがましいんじゃないかっていう気分に最近になっている訳でして。





それに気付いて今後どうしたいってわけじゃないんですけれども、

何て言うのかな、あまりに大きな希望を抱きすぎなんじゃないかとか、
こ…

人間関係に疲れた。自分のスタンスを明確にすることについて

最近「いい人すぎて自分が疲れちゃう」みたいなことが、
結構自分の周りの知り合いとかでいっぱいて。

すごいいい人なんだけど、いい人であるがゆえに周りに気を使いすぎて全然自分の言いたいことも言えないし、
自分の時間も取れないし、
神経すり減らしています。

みたいなそういう知人が結構いて。

心配だなーって思いますし、何とかしてあげたいんですけれども。


ただね、僕がそんなお説教みたいなことできるような立場でもないし、
僕自身がすごい不安定な身分ですし、
偉そうなこと言うのもなーって思うので。


まあこういう一般公開できる形にしておいて、ちょっとまあ時間のあるときに見てくれたらいいかなぐらいの感じで、
一応記事にしておこうかなと思います。





「いい人すぎて疲れる現象」を脱却するために何が必要なのかなって考えた時に、

やっぱり

「自分はこういう人間です」

っていうのをはっきり言ってしまった方が楽になるんじゃないかっていう話です。


自分のスタンスを決める。

いろんな人に味方しようとするから疲れるのであって、
自分はこのスタンスでやってますっていうのをちゃんと出したら少しは疲れなくなるんじゃないかなって。


要するに堂々としてればいいっていう話でして。


すごい極端な話ではあるんですけれども、
「新聞赤旗は共産主義に偏ってる」
みたいなそんな叩き方する人っていないんですよね。

「共産主義は間違っている」とか、
「あいつらは共産主義を理解できていない」とか、
そういう叩き方はあり得るでしょうけど。


赤旗が赤いのはもう当たり前の話であって、
むしろ赤いからこその赤旗みたいなそういうところはあるので。

あの人たちが
「共産主義はすごいんだ」
っていうことを言ってももう誰も何も思わないわけですよ。


むしろ一見「公平に報道してます」みたいな顔して偏向報道してると叩かれると思いますよ。


あそこまで自分のスタンスがあると逆に叩かれないんですよね。







あともうちょっと違う話なんですけれども、
「京都に高層ビルがない」とか
「京都にもあべのハルカスみたいな高層ビルを作れ」
みたいなそんな叩き方をする人もいないですよね。


京都市はもうずいぶん前から条例で建物の高さ制限とかをしてて、


「観光で売っていく」
「景観を守る」
っていうことを大切にしてるって言うのはもう内外にはっきり言ってるので、

今更その点に関して叩…

欠点を魅力にすりかえる。「人生は演劇だ」その2

ずいぶん前に書いた記事で「人生は演劇」みたいな話をしたんですけれども、
生きるのが難しい人にオススメ!「人生は演劇だ」

それが結構好評でたくさんのアクセスが集まっているので、ちょっと続編って言うか、

まあ本質的には違う話ではあるんですけれど、
ちょっと似たような話をもう一個しておこうと思って、
記事を作ってみようかなあなんて思ったりて今書いてるわけなんですよね。




その記事を書いたあとで思ったことは、
「人間の性格っていいとか悪いとかでスパッと割り切れるものでもないなー」ということなんです。


それは前から常々思っていたことではあるんですけれど、

例えばの話、「優柔不断なところが悪い」って言うのか、
「慎重なところがいい」って言うのか、


それって現象としては同じものを見てるのに受ける印象が違うんですね。
好印象にも悪印象にもなる。



まあ同じような話で、
「明るくていい」って思われるのか、
「うるさいやつ」と思われるのかっていうのは
けっこうそのデリケートな線引きと言うか、
際どいラインを攻めないといけない些細な違いしかないっていうところはありますよね。


そこでやっぱり人によって、「同じことを言っていてもなぜか好意的に解釈してもらえる人」っていうのがいるなって思って。

欠点と魅力ってものすごくすれすれの境目でかわってしまうんですよね。




要するに、同じこと言ってるのに良い印象になる人と悪い印象になる人がいて、それと演劇の話をちょっと絡めてやっていこうかなぁなんて思ってるわけです。





なぜか好意的に解釈してもらえる人の特徴はいくつかありますが、代表的なものを紹介しておきます。

もうあれですよ。皆さんお待ちかねの。
こんなこと言ったら身も蓋もないんですけれども、「見た目がかっこいい」とかですよ。



そういうところはちょっとありますよね。
絶対否定できない部分はあると思います。

前にハロー効果の話もちょっとしたんですけれども、
バイアスってなんだ!?~ド素人の僕と学ぶ心理学~


ハロー効果というのは「見た目がいい」みたいな一つの好印象で他の部分もいいような気がしてしまうっていうことです。

まあ顔がかっこいいとかはすごい分かりやすいですし、あとは何か凄い学歴があるとか、親がすげえ人とか。

そういう権威的なものっていうのがあることで同じこと言ってても説得力が増すとか、そういうことは学術的にも論じら…

悩んでる暇なんかない!人生のすべてはトレードオフだ

今日は「人生の全てはトレードオフ」っていう話をしようと思います。

そもそもトレードオフというのは、「こっちを実現しようとするとこっちは実現できないみたいな」状況を指します。


例えば「co2削減すると経済成長が鈍る」みたいな、
そういうのをよく「環境保全と経済成長はトレードオフなのか」っていう言い方をします。



日本語で言うと二律背反とも言いますね。
要するに、何かを達成するために何かを諦めなければいけないっていう状態のことをトレードオフといいます。


環境問題とか、あとまあ僕が専門にしてる分野で言ったら行政のお金の使い道とかもそうですね。


税金を集めて公共政策に使うわけですけれども、集まった税金を全部介護に使ってもダメだし、全部教育に使ってもダメだし、全部建設に使ってもダメだし、みたいな。


全部を頑張るっていうのは無理なので、なんかしらの選択っていうのが発生するんですね。


このように何かのために何かを諦めなければならないっていう場面はどんな分野でも必ず出てくるわけです。




《個人の生活もトレードオフ》

それはさっき例に挙げたような社会全体のマクロな意思決定だけじゃなくて、個人の人生の中でもそういう事ってこういっぱいあるんじゃないかなと。
そう思って記事を書き始めました。



めちゃめちゃシンプルな話なんですけれども、寝てる間っていうのは勉強することはできないですよね。

テスト前とかだったら特にいっぱい勉強をしようとか思うこともあるんですけれども、でも睡眠時間を削りすぎると体力的に持たないし、みたいなことが起こります。

勉強してる時間は寝れないし、寝てる時間は勉強できないわけです。





《もう少し大きな視点》

もうちょっと他の例で言うと、例えば学校行ってる間は会社に行けないですね。

中学までは義務教育なのでまあみんな学校行ったらいいかなと思うんですけれども、ここ以降は一応法律的には学校に行かなければならないわけではないので、
例えば人によっては高校に行くよりも中卒で働いた方が有意義っていう人もいるかもしれないですね。


全く逆の例で言えば仕事したら学校行けなくなりますから、お金は稼げるかもしれないですけれども良い環境で教育を受けるっていうことは難しくなります。


やっぱりあれもこれもしようって思うとできないわけですよ。







《「あれもこれも」を阻むもの》

やっぱり何かを諦めなければならない時って…

結果を出したいからこそプロセスを大切にする

こんにちは、こんばんは。

この間、結果が大事だよっていう話をしたんですけれども。
ただまあね、結果ばっかり求めてるとしんどいっていうのもそれはまた事実でして。

この点に関して僕が思っている事があるので、それを記事にしておきます。

結論からいうと、結果も大事だけどプロセスも大事だということで、まあ極めてありきたりなことなんですけれども。
当たり前だからこそ敢えてもう一度言っておきます。


結果も大事だけどプロセスも大事だよ!



《簡単かつ最大の問題》

ただ、これには大きな問題がありますね。
皆さんもわかってるとおもうんですけど、「プロセスの評価」ってあまりされないですよね。

前も言った通り、相手は結果しか興味がないわけですよ。
入試でも、受かったか落ちたかしかないんです。


「惜しかった」とかないんですよね。
「あと一点でした」みたいな、それも関係ないし、
「1日10時間やりました」っていうのも関係ないわけですよ。

落ちた時はもう落ちたんです。






《でも・・・》

だからプロセスで頑張ったから結果は関係ないっていう話をしたいわけではなくて。

「プロセスの評価はあんまりされないけれど、プロセスを楽しむことはできるでしょう?」っていうのが僕の意見なんですよね。





《漫画の話だけど》

黒子のバスケの木吉先輩も言ってました。
「山登るなら目指すのは当然 頂上だ…が 景色もちゃんと 楽しんでこーぜ」って。


このメンタリティですよね。最高です。
僕はこれが大好きです。
もちろんやる限りはてっぺんを目指しますよ。
そうじゃないとやる意味ないと思ってますし。

でもやっぱ、途中で見えるものとか感じたものとか、っていうのもすごく大事なんじゃないかなって思って。





《例えば勉強なら》

受験の話ばっかして申し訳ないんですけど、「一生懸命頑張って勉強しました。でも落ちました」ってなったときに、じゃあその一生懸命頑張ったプロセスが全部無駄になるんかって言うと、そういうことじゃないだろうっていうことなんですよね。

その中で気づきを得るっていうことも当然あると思いますし、また努力してる最中にも自分だけしか知らない感情とか、そういうものがどんどん蓄積されていくと思うので。

そのプロセスの途中で感じるもの、っていうのをもっと大切にしていけば、努力することも楽しくなっていくんじゃないかなって思いますね。






《プロセスを楽しめるという事…

世の中結果がすべてだということは受験勉強で学んだはずなのに

最近、世の中結果が全てなんだなって思うことがたくさんありまして。
もう「頑張ったんで」みたいな、「こんなに努力したのに」みたいなそういう言い訳が全く通用しないような、そういう場面が多いなーって思っています。

個人的にはすごく頑張ったつもりでも世の中的には全然凄くなかったり、「結局それ意味あるの?」みたいな感じになってしまったり、
そういうことってありますよね。

ブログだってそうですよ。
めっちゃ何時間も頭捻って書いたからと言って読んでもらえるわけじゃないし、30分くらいで書いたやつで簡単に何百アクセスがポンっと来ることもありますし。



まあ落ち込むことは落ち込むんですけど、でもこの「結果が大切だ」っていうのは受験生時代に痛いほど思い知ってきたんじゃないかっていうことを思い返して、自分のなかで整理しながら記事にしていこうということなんです。


紹介文でも言っているんですけど、僕は浪人してるんですね。

高校生の時はもう大学受けたところ全部落ちてもう仕方なかったんですけど、
その時もね、頑張ってなかったわけじゃないんですよ。

それなりに頑張ってたと自分では思っていて、部活もやりながら部活の一日練習の昼休みとかも勉強したりして、そうやって頑張ってたわけなんですけど、それでもダメだったんですよ。






《入試自体、努力を評価するシステムじゃない》

そもそも入試のシステム自体があれって「何時間勉強したら受かる」とか「参考書何冊読んだら受かる」とかそういう問題じゃないですよね。


シンプルな話、「何点取ったか」でしか評価されない。
「1日10時間やりました」とか「何年前から準備してました」とか、そんなことは一切関係ないわけですよね。
結局そのテスト当日に答案を書けたか書けなかったかでしか評価されないですよ。


まあこれが結果を出すってことなんかなっていうのはその時に痛いほど分かったはずなんですけれども、でもまだまだ甘かったなぁなんて思って。





《他のことでも同じこと》

これからの時代、「頑張ったんです」が通用する事っていうのがどんどん少なくなっているんですよね。

今、働き方改革だの労働生産性だの裁量労働だのとか色々言われてるわけですけれども、
それも結局、要は「何時間会社にいたか」じゃなくて「どれだけ結果を出したか」っていう、そこが問われるわけですよね。


だから会社に行きさえすればいいみたいな、…

「勤務時間中にタバコ休憩があるのはずるい」←わかる

最近すごい考えてることがあって、「タバコ休憩を何回も行くのはずるい」みたいなそういう話ってありますよね?

吸わない人はちゃんと休憩時間に休憩してるのに、タバコ吸う人は休憩時間以外の休憩時間があるのはおかしいっていう。

そういう意見があるじゃないですか。これめちゃめちゃ真っ当な意見ですよね。



だってシンプルに休憩時間の量が違うから不公平ですし、何でお前だけいっぱい休憩できるの?みたいな、

それは一理どころか百理くらいあると思うんですよ。
めちゃめちゃよくわかります。


うちの会社にもいるんですよ、そういう上司が。
何回も休憩行く人が。
「お前どんだけ休むねん」、みたいなね。

「しかも普通の休憩時間もあるんかい」っていう。

この不公平感はめちゃめちゃあって、それはよくないなって話なんです。






《他にもっと悪いことはないか?》

ただね、「こういうのよくないよね!バイバイ!」っていうのは思春期おじさんらしくないですよ。


ここでひとつ言っておきたいことがあって、じゃあ「休憩せずにずっと仕事してる人は本当にずっと集中してるのか」っていうのはちょっと疑問ではあるんですよね。


だってまあ、例えばデスクワークの人とかでも、座ってる間ずっと集中してるなんてことってなかなかないと思いませんか?

それって逆に難しくって、確かにこう2時間、3時間机に座ってることはできるのかもしれないですけれど、
その2時間3時間の間「ずっと集中してるか」と言われたらちょっとそれは疑問と言うか 、ほぼ不可能ですよね。






《例えばの話》

これはあくまで可能性ベースの話なので何か具体例があるわけじゃないんですけど、
もしかしたら例えば1時間のうちの55分は超人的に集中して5分タバコ吸ってる人っていうのがいるのだとすれば、それはそんなに悪いことじゃないですよね?


むしろ良い働き方だと思うんですよ。
自分の働き方をよくわかってる、できる人ですよね。

もちろんここで何回も休憩に行ってるっていうのは間違いないんですけれども、

じゃあ仕事してるポーズだけしていて本当は仕事してない人はずるくないのかと言われたら、それはちょっと返事に困るみたいなところはあるじゃないですか。


ここで挙げている例は極端ではあるんですけれども、似たようなことは日本中のあちこちで起こっていますよね?





《問題はそんなに単純じゃない》

だから、何回も休憩してるか…