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欠点を魅力にすりかえる。「人生は演劇だ」その2

ずいぶん前に書いた記事で「人生は演劇」みたいな話をしたんですけれども、
生きるのが難しい人にオススメ!「人生は演劇だ」

それが結構好評でたくさんのアクセスが集まっているので、ちょっと続編って言うか、

まあ本質的には違う話ではあるんですけれど、
ちょっと似たような話をもう一個しておこうと思って、
記事を作ってみようかなあなんて思ったりて今書いてるわけなんですよね。




その記事を書いたあとで思ったことは、
「人間の性格っていいとか悪いとかでスパッと割り切れるものでもないなー」ということなんです。


それは前から常々思っていたことではあるんですけれど、

例えばの話、「優柔不断なところが悪い」って言うのか、
「慎重なところがいい」って言うのか、


それって現象としては同じものを見てるのに受ける印象が違うんですね。
好印象にも悪印象にもなる。



まあ同じような話で、
「明るくていい」って思われるのか、
「うるさいやつ」と思われるのかっていうのは
けっこうそのデリケートな線引きと言うか、
際どいラインを攻めないといけない些細な違いしかないっていうところはありますよね。


そこでやっぱり人によって、「同じことを言っていてもなぜか好意的に解釈してもらえる人」っていうのがいるなって思って。

欠点と魅力ってものすごくすれすれの境目でかわってしまうんですよね。




要するに、同じこと言ってるのに良い印象になる人と悪い印象になる人がいて、それと演劇の話をちょっと絡めてやっていこうかなぁなんて思ってるわけです。





なぜか好意的に解釈してもらえる人の特徴はいくつかありますが、代表的なものを紹介しておきます。

もうあれですよ。皆さんお待ちかねの。
こんなこと言ったら身も蓋もないんですけれども、「見た目がかっこいい」とかですよ。



そういうところはちょっとありますよね。
絶対否定できない部分はあると思います。

前にハロー効果の話もちょっとしたんですけれども、
バイアスってなんだ!?~ド素人の僕と学ぶ心理学~


ハロー効果というのは「見た目がいい」みたいな一つの好印象で他の部分もいいような気がしてしまうっていうことです。

まあ顔がかっこいいとかはすごい分かりやすいですし、あとは何か凄い学歴があるとか、親がすげえ人とか。

そういう権威的なものっていうのがあることで同じこと言ってても説得力が増すとか、そういうことは学術的にも論じら…

悩んでる暇なんかない!人生のすべてはトレードオフだ

今日は「人生の全てはトレードオフ」っていう話をしようと思います。

そもそもトレードオフというのは、「こっちを実現しようとするとこっちは実現できないみたいな」状況を指します。


例えば「co2削減すると経済成長が鈍る」みたいな、
そういうのをよく「環境保全と経済成長はトレードオフなのか」っていう言い方をします。



日本語で言うと二律背反とも言いますね。
要するに、何かを達成するために何かを諦めなければいけないっていう状態のことをトレードオフといいます。


環境問題とか、あとまあ僕が専門にしてる分野で言ったら行政のお金の使い道とかもそうですね。


税金を集めて公共政策に使うわけですけれども、集まった税金を全部介護に使ってもダメだし、全部教育に使ってもダメだし、全部建設に使ってもダメだし、みたいな。


全部を頑張るっていうのは無理なので、なんかしらの選択っていうのが発生するんですね。


このように何かのために何かを諦めなければならないっていう場面はどんな分野でも必ず出てくるわけです。




《個人の生活もトレードオフ》

それはさっき例に挙げたような社会全体のマクロな意思決定だけじゃなくて、個人の人生の中でもそういう事ってこういっぱいあるんじゃないかなと。
そう思って記事を書き始めました。



めちゃめちゃシンプルな話なんですけれども、寝てる間っていうのは勉強することはできないですよね。

テスト前とかだったら特にいっぱい勉強をしようとか思うこともあるんですけれども、でも睡眠時間を削りすぎると体力的に持たないし、みたいなことが起こります。

勉強してる時間は寝れないし、寝てる時間は勉強できないわけです。





《もう少し大きな視点》

もうちょっと他の例で言うと、例えば学校行ってる間は会社に行けないですね。

中学までは義務教育なのでまあみんな学校行ったらいいかなと思うんですけれども、ここ以降は一応法律的には学校に行かなければならないわけではないので、
例えば人によっては高校に行くよりも中卒で働いた方が有意義っていう人もいるかもしれないですね。


全く逆の例で言えば仕事したら学校行けなくなりますから、お金は稼げるかもしれないですけれども良い環境で教育を受けるっていうことは難しくなります。


やっぱりあれもこれもしようって思うとできないわけですよ。







《「あれもこれも」を阻むもの》

やっぱり何かを諦めなければならない時って…

結果を出したいからこそプロセスを大切にする

こんにちは、こんばんは。

この間、結果が大事だよっていう話をしたんですけれども。
ただまあね、結果ばっかり求めてるとしんどいっていうのもそれはまた事実でして。

この点に関して僕が思っている事があるので、それを記事にしておきます。

結論からいうと、結果も大事だけどプロセスも大事だということで、まあ極めてありきたりなことなんですけれども。
当たり前だからこそ敢えてもう一度言っておきます。


結果も大事だけどプロセスも大事だよ!



《簡単かつ最大の問題》

ただ、これには大きな問題がありますね。
皆さんもわかってるとおもうんですけど、「プロセスの評価」ってあまりされないですよね。

前も言った通り、相手は結果しか興味がないわけですよ。
入試でも、受かったか落ちたかしかないんです。


「惜しかった」とかないんですよね。
「あと一点でした」みたいな、それも関係ないし、
「1日10時間やりました」っていうのも関係ないわけですよ。

落ちた時はもう落ちたんです。






《でも・・・》

だからプロセスで頑張ったから結果は関係ないっていう話をしたいわけではなくて。

「プロセスの評価はあんまりされないけれど、プロセスを楽しむことはできるでしょう?」っていうのが僕の意見なんですよね。





《漫画の話だけど》

黒子のバスケの木吉先輩も言ってました。
「山登るなら目指すのは当然 頂上だ…が 景色もちゃんと 楽しんでこーぜ」って。


このメンタリティですよね。最高です。
僕はこれが大好きです。
もちろんやる限りはてっぺんを目指しますよ。
そうじゃないとやる意味ないと思ってますし。

でもやっぱ、途中で見えるものとか感じたものとか、っていうのもすごく大事なんじゃないかなって思って。





《例えば勉強なら》

受験の話ばっかして申し訳ないんですけど、「一生懸命頑張って勉強しました。でも落ちました」ってなったときに、じゃあその一生懸命頑張ったプロセスが全部無駄になるんかって言うと、そういうことじゃないだろうっていうことなんですよね。

その中で気づきを得るっていうことも当然あると思いますし、また努力してる最中にも自分だけしか知らない感情とか、そういうものがどんどん蓄積されていくと思うので。

そのプロセスの途中で感じるもの、っていうのをもっと大切にしていけば、努力することも楽しくなっていくんじゃないかなって思いますね。






《プロセスを楽しめるという事…

世の中結果がすべてだということは受験勉強で学んだはずなのに

最近、世の中結果が全てなんだなって思うことがたくさんありまして。
もう「頑張ったんで」みたいな、「こんなに努力したのに」みたいなそういう言い訳が全く通用しないような、そういう場面が多いなーって思っています。

個人的にはすごく頑張ったつもりでも世の中的には全然凄くなかったり、「結局それ意味あるの?」みたいな感じになってしまったり、
そういうことってありますよね。

ブログだってそうですよ。
めっちゃ何時間も頭捻って書いたからと言って読んでもらえるわけじゃないし、30分くらいで書いたやつで簡単に何百アクセスがポンっと来ることもありますし。



まあ落ち込むことは落ち込むんですけど、でもこの「結果が大切だ」っていうのは受験生時代に痛いほど思い知ってきたんじゃないかっていうことを思い返して、自分のなかで整理しながら記事にしていこうということなんです。


紹介文でも言っているんですけど、僕は浪人してるんですね。

高校生の時はもう大学受けたところ全部落ちてもう仕方なかったんですけど、
その時もね、頑張ってなかったわけじゃないんですよ。

それなりに頑張ってたと自分では思っていて、部活もやりながら部活の一日練習の昼休みとかも勉強したりして、そうやって頑張ってたわけなんですけど、それでもダメだったんですよ。






《入試自体、努力を評価するシステムじゃない》

そもそも入試のシステム自体があれって「何時間勉強したら受かる」とか「参考書何冊読んだら受かる」とかそういう問題じゃないですよね。


シンプルな話、「何点取ったか」でしか評価されない。
「1日10時間やりました」とか「何年前から準備してました」とか、そんなことは一切関係ないわけですよね。
結局そのテスト当日に答案を書けたか書けなかったかでしか評価されないですよ。


まあこれが結果を出すってことなんかなっていうのはその時に痛いほど分かったはずなんですけれども、でもまだまだ甘かったなぁなんて思って。





《他のことでも同じこと》

これからの時代、「頑張ったんです」が通用する事っていうのがどんどん少なくなっているんですよね。

今、働き方改革だの労働生産性だの裁量労働だのとか色々言われてるわけですけれども、
それも結局、要は「何時間会社にいたか」じゃなくて「どれだけ結果を出したか」っていう、そこが問われるわけですよね。


だから会社に行きさえすればいいみたいな、…

「勤務時間中にタバコ休憩があるのはずるい」←わかる

最近すごい考えてることがあって、「タバコ休憩を何回も行くのはずるい」みたいなそういう話ってありますよね?

吸わない人はちゃんと休憩時間に休憩してるのに、タバコ吸う人は休憩時間以外の休憩時間があるのはおかしいっていう。

そういう意見があるじゃないですか。これめちゃめちゃ真っ当な意見ですよね。



だってシンプルに休憩時間の量が違うから不公平ですし、何でお前だけいっぱい休憩できるの?みたいな、

それは一理どころか百理くらいあると思うんですよ。
めちゃめちゃよくわかります。


うちの会社にもいるんですよ、そういう上司が。
何回も休憩行く人が。
「お前どんだけ休むねん」、みたいなね。

「しかも普通の休憩時間もあるんかい」っていう。

この不公平感はめちゃめちゃあって、それはよくないなって話なんです。





《他にもっと悪いことはないか?》

ただね、「こういうのよくないよね!バイバイ!」っていうのは思春期おじさんらしくないですよ。


ここでひとつ言っておきたいことがあって、じゃあ「休憩せずにずっと仕事してる人は本当にずっと集中してるのか」っていうのはちょっと疑問ではあるんですよね。


だってまあ、例えばデスクワークの人とかでも、座ってる間ずっと集中してるなんてことってなかなかないと思いませんか?

それって逆に難しくって、確かにこう2時間、3時間机に座ってることはできるのかもしれないですけれど、
その2時間3時間の間「ずっと集中してるか」と言われたらちょっとそれは疑問と言うか 、ほぼ不可能ですよね。





《例えばの話》

これはあくまで可能性ベースの話なので何か具体例があるわけじゃないんですけど、
もしかしたら例えば1時間のうちの55分は超人的に集中して5分タバコ吸ってる人っていうのがいるのだとすれば、それはそんなに悪いことじゃないですよね?


むしろ良い働き方だと思うんですよ。
自分の働き方をよくわかってる、できる人ですよね。

もちろんここで何回も休憩に行ってるっていうのは間違いないんですけれども、

じゃあ仕事してるポーズだけしていて本当は仕事してない人はずるくないのかと言われたら、それはちょっと返事に困るみたいなところはあるじゃないですか。


ここで挙げている例は極端ではあるんですけれども、似たようなことは日本中のあちこちで起こっていますよね?




《問題はそんなに単純じゃない》

だから、何回も休憩してるか…

境界が溶けゆく激動の世の中で大切な力について

最近あらゆるものの境界が溶けてきていると感じています。 何か具体的な線じゃなくて人生一般の話なんですけど、ちょっと聞いてください。



《人生のフェーズを区切る意味はあるのか?》
20年30年前だったら 人生の中で「勉強する時期」、「仕事をする時期」、「老後を楽しむ時期」、みたいな感じで人生の中で区割りがはっきりとあったと思うんですけど、今ってその境界がどんどん溶けてきてますよね。

学生だってもちろんアルバイトしながら学校行ったりするし、社会人でも仕事しながら勉強してるし、どっちがどっちである必要っていうのはあんまりなくて、 何て言うのか、肩書きが何であってもいろんなことができますし、むしろどっちもがどっちもやらないといけないみたいな、そういった側面は間違いなく出てきています。
ついでに言えば定年制度もなくなるみたいな議論が最近されてますけれども、 老後を楽しむみたいなゆとりのある時間っていうのはそんな多くはなくて、 勉強と仕事と趣味っていうところの境界がどんどんなくなってきてるなっていう思いはあるんですね。

だから人工的に境界を作る意味もそんなにないなっていう気はしてて。 極端な話、例えば3月31日と4月1日で自分の中で何かが変わったわけでもないのに、ここまでは学生です、ここからは社会人ですって分ける必要性ってあまりなくて、 「自分が変わりたいって思ったタイミングで変わったらそれでいいんじゃないのかな」という思いは自分の中にあるんですよね。




《結局自分は何者なのか》
だから、肩書きがどうこうじゃなくて、「自分はこういう人間です」っていう個々人のアイデンティティっていうのが今後はますます求められていくようになっていきます。

「自分はこの会社の人間です」とか、「この学校の人間です」っていうことしか喋ることがないっていう人は今後生きにくくなっていくんじゃないかなって思って。


これは大いに自戒の意味を込めて書いているんですけれど、自分自身もそういった不安をすごく感じてて、いわゆる所属っていうのを欲しがってしまいます。
浪人してるときなんかは学校も行ってないし就職もしてないし、肩書きみたいなものが無くなるのでなんとも言えないフワフワ感がありました。
けれども所属に頼って、それしか誇れるとこがないっていうのは、これから生きていく上ですごい重荷になるんじゃないかっていう予感がありますし、 …

社会を知る近道は中学公民を学びなおすことだ

報告です! 大人こそ知っておきたい中学公民学び直し(https://www.otonakouminn.com/)というサイトを作りました!
何の前置きもなく突然この話始まってしまったんですけど、最近、中学生の公民を解説するサイトを作っていまして、
何をやっているのかというと公民を解説するサイト作っているっていうくらいのことしか言えないんですけれど。


《いったい何のために?》
なぜそんなことをやっているのかというと、結論から言えば「もっとちゃんと勉強したい」とか「改めて考えると勉強たのしいよね」っていう大人のために作っています。
大人が中学の公民を学び直すっていう時に見てほしいなみたいなサイトではあるんですね。

僕は大学で公共政策を専攻しているんですけれども、その公共政策の勉強をしてるうちに「民主主義が・・・」とか「公平な社会は・・・」とか経済的なこととか「需要と供給が・・・」みたいなこととかを勉強するんですね。

なんかそれって冷静に考えたら「結局全部公民の教科書に載ってたな」って思って、それ全部中学でやるやん!みたいな感じで思って。
だから逆に考えればこの中学レベルの公民をみんながきっちり理解すれば、社会科学専攻の大学生と同じくらいの知識が誰でも得られるんじゃないかなって思った次第で。 じゃあやればいいやんと思ってこうやってサイトを作り始めたわけなんです。




《公民って面白くないよね・・・》
ただそうは言っても、自分が中学の時とかのことを考えてみると、公民って「おもんない教科ランキング」の結構上位を占めるみたいな感じがあるっていうか、あまり好かれがちな教科とは言えないですよね。

まあ僕がそうだったんですけれど。 基本的に楽しい時間では無かったような記憶がある人も多いはず。
でも一度理解した上でもう一度やってみると案外面白いなと思っています。
何て言うんですかね、この喩えが合ってるかはわからないですけれど、RPGで「2週目からが本番」みたいな、「強くてニューゲームです」みたいな状態に今なっているんですよ。 強くてニューゲームめっちゃ楽しい!みたいな。

特に大人の場合、自分が今までに経験してきたこととか、自分の仕事に関連することとかと絡めながら理論を読み取ることができるので、更に勉強しやすいですし、楽しさも中学時代とは全く変わってきます。

この楽しさを世の中に伝えないといけ…