教師だって学びの途中!”学び合い”の場をつくろう






こんにちは、こんばんは。
思春期おじさんです。

自分自身が学生でありながら、塾で人に勉強を教えていたりすると、なんだか教えるのも教わるのも大変だなあと思いますし、上手くいっていない授業というのは学生の側にも先生の側にも問題があるなあと思います。



授業態度とか能力とかの問題ももちろん大きいんですけど、それ以前に”仕組み”の方にも問題があるなあと。


学生と先生の両方の視点から教育というものを考えたときに、「こんな風に学びの環境を作っていきたい」という気持ちが出てきたので、備忘録も兼ねて記事にしておこうと思います。






《「先生/学生」は「教える/教えられる」の関係ではない》

まず大前提として、この「教える人」と「教えられる人」という区分から間違っているように感じます。

僕が先生として教えている時でも、生徒からの質問に答えているうちに自分の中に無かった発想が出てきたり、自覚もしていなかった感情や言葉が出てきたり、疑問にすら思っていなかったことを改めて考えたり、なんてことがかなり頻繁にあります。


要するに、教える方が余程良い学習をしているということです。

塾で教えて、多くの生徒の成績が上がってきたんですけど、実は一番勉強になっているのは僕なんじゃないかなと。
一番賢くなっちゃったな、という感じがします。


それに、「テストにおいて何が正解か」ということは圧倒的に僕の方が知っているのですが、「この話を聞いて何を思ったか・感じたか」ということに関しては、生徒たち一人一人が一番よくわかっています。


そこに関しては僕が入り込む余地は全くなくて、一人一人の主観に依るものであります。

教科書に載っていることや僕が話していること自体はみんな同じなので、何か重大な差がつく部分があるとすれば受け手がどう感じるかなんですね。


そして、会話はキャッチボールなので、僕の授業に対して生徒がその人オリジナルの感想や質問を発する、それについて考えていく中で僕にもオリジナルの何かが生まれる、ということを繰り返していくのです。


そう考えていくと、「教える人」と「教えられる人」という区分からはずいぶんと乖離した状態になっていて、それが僕にとって心地がいいのです。








《ある程度成長すると大人の不完全さに気付く》

今度は学生側の視点に立ちます。
自分で本を買って勉強することもあれば、授業に参加することもあるのですが、正直言って分野によっては先生よりも僕の方が詳しかったりします。

先生と言っても何でも知っている訳ではなくて、なんだかんだ言っても専攻外の分野は苦手だったりします。

でもまあこれは当たり前の話で、先生が何でも知っているということは不可能ですし、可能である必要もないと思います。

先生だって結局は教育者としての超越的な存在として生まれたのではなく、人生の中において学生の延長でしかない訳なので、完璧を求めることはちょっと無理がありますね。

身近な例で考えても、小さい頃は親が絶対的に大きな存在だったりするのですが、ある程度自分が大きくなると、「なんだ、こんなもん?」という気になったりするものです。

まあ大体中学生にもなれば、「大人にも色々いるし、できること・できないことがあるんだなあ」ということがわかってくると思います。








《無理に威張るよりも「わからない」と言えた方がいい》

また塾講師の視点に戻るんですけど、正直生徒の質問がハイレベル過ぎて答えられない時がたまにあるんですよね笑

そういう時の対応の仕方は先生によって色々なのですが、僕は素直に「わからない」「知らない」と言ってしまいます。

そして、「すごいなその発想!!」とか「斬新やな!!」とか「その疑問をを突き詰めていけばノーベル賞や!!!」とか言っています。

でもそこで終わってしまうと職務怠慢になってしまうので、「一緒に調べよう」と言います。



調べるためのツールは僕の方が多く持っていますし、どういう文献にアタックしたらいいかということもおそらく僕の方がわかっているので、そういった方面からサポートしつつ、自分でも調べていきます。



あっさりと「わからない」と言ってしまう方が変な見栄を張らなくていい分疲れないですし、普段からそういうスタンスであれば生徒もバカにしたリはしないです。

でもこういうことを言うと、「プライドはないんか」と言われることがあるのですが、良い学びをつくる為であれば僕のプライドなんかはどうでもいいと思っています。

むしろ逆に、双方向的な積極的な学習環境を作ることが僕のプライドだと思っています。

先生としての威厳を保ちたいだけ、「教えてる俺すげえ」ってなっているだけの人に用はありません。







《先生も学生も学びの途中。共に努力すればいい》

さっきも似たような話をしましたが、先生だって結局は成長途上なんです。
完成品じゃない。

ならば、先生と学生がお互いに高め合っていけたらいい、っていうのはめちゃめちゃシンプルかつ的確な答えだと思いませんか?

お互いにいい刺激を感じて、お互いに努力して、お互いに成長出来るのが望ましいと思います。






《職務放棄ではない》

先生はもう教えなくていいと言っている訳ではないです。
当然ある教科やある分野に関しては先生の方が多くを知っているので、その知識や技能を伝えるという事は必要だと思います。

学生の側も、そこに対するリスペクトは持たないといけないですね。


ただ、お互いに学びの途中であるという意識は必要だと思います。

「お互いに成長途中ではあるのだけど、先生の方が学びが進んでいる」という感覚です。

教え込むという感じではなくて、”学びの先輩”として”後輩”のサポートをしていくことが大切だなと思っています。






《おわりに》
先生も学生も学びの途中であって、お互いに切磋琢磨できるのが良いという話でした。
加えて、学びのツールも多様化していることや情報のサイクルが速くなっていることから、以前にも増してそういった意義が高まっていると思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
感想や質問は下のコメント欄にお願いします。
それではまた!



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