楽しく効率よく勉強する方法。効率性と面白さはトレードオフなのか


こんにちは、こんばんは。
思春期おじさんです。

でも触れたように、勉強する意味が分からないという意見はよく聞きます。
三平方の定理が出来てどうなるん?という疑問は至極真っ当だと思いますし、やる意味の分からないものに対してやる気を出すというのもなかなか難しいことですね。

ある程度学習が進んでいくとだんだん意味がわかってくるのですが、中学くらいでつまずいてしまうとそのわかってくるフェーズに入る前に勉強に対する苦手意識が出来てしまいますね。

僕は基本的に勉強が好きな方なんだと思いますが、それでもやはり、教科書を開いて先生の話を聞いて・・・というのは面白くないです。

でも、自分で興味のあることを調べて、わからない言葉がでてきたら更に調べて・・・というように勉強するのはとても好きです。

やる気が出たり出なかったりというこの違いがどこからやってくるのかなと考えたので、備忘録を兼ねて記事にしておこうと思います。



《公式の一つ一つは天才たちの人生》

例えば数学で言えば、直交座標軸を用いて点をプロットしたり、関数のグラフを描いたりすることがあると思います。
その関数の形によって一次関数だったり二次関数だったり指数関数だったりするわけなのですが、そもそもこのグラフを描く直交座標はどのようにして生まれたでしょうか。

一説には、ルネ・デカルト1637年に発表した『方法序説』において平面上の座標の概念を確立したと言われています。
(デカルト座標系 (Cartesian coordinate system) とも呼ぶ)

逸話によると、ある日デカルトはベットの中で一匹のハエの飛んでいるのを見つめていました。
はじめのうちはハエが自分の方に飛んでくるのをうるさく感じていましたが、ねむけのさめた頃には、ハエがどこにとまったかという位置を表わすことを発見したといわれています。
自分から見て前とか横とかそういうことではなくて、床から何㎝上、柱から何㎝右というように表現することで客観的に測定可能な位置定義ができると考えました。
それが座標の考えです。
言われてみれば簡単な事ではあるのですが、これは大きな発見です。


軸の取り方と点の位置取り、関数とグラフの形を定めることで解析系の学問は大きく発展していくことになりました。

これがわかっていれば斜交座標がでてきてもやっていることは基本的に同じですし、軸が斜めになっただけだということがわかります。
(本来であれば斜交座標=デカルト座標で、たまたま直交している時に直交座標と呼ぶらしいです)


例が長くなってしまったのですが、教科書に載っているどの理論にも一つ一つこのような発見の過程があって、それらは過去の偉人たちが人生をかけて発見したものであったりもします。
それを僕たちは簡単に調べることができて、理解して利用することができます。





《体系化して更に効率UP?》

しかし、このようにして偉人の逸話を一つ一つ調べていたのではなかなか学習が進みません。
それに、学者の時代順に学んでいけばわかりやすいとも限りません。
大昔に随分と複雑な理論ができていたりする場合もありますし、思想と理論がごちゃ混ぜになったようなものもあります。

そこで現代の学校教科書においては、わかりやすく教科ごとにパッケージングして、学びやすいように体系的に並べ替えられています
体系化とは、個別の知識・情報・仕組みなどを、相互に適宜関連付けた上で、大きなひとつのまとまりを持ったものに仕上げることですが、教科書ではそれが教科毎にされています。

二次関数を学ぶ前に一次関数を学びますし、その前に比例、さらにその前に変数や定数の表し方から学ぶようになっています。
このようなステップアップ式で進めていくことで、無駄なくもれなく知識を積み重ねていくことができます
代数・幾何だけでなく、他の教科についても同様で、教科書を前から丁寧に読んでいけば無理なく理解ができるように設計されています。

こうすることによって何から勉強すればいいのかと悩む必要がなくなり、無駄な時間を使わずに体系的に学んでいくことが可能になります。




《その結果何が起こったか》

その結果発生するのが冒頭で触れたような”意味の分からなさ”なんですね。
今やっていることがこの先どのように生きてくるのかがわからない。
教科書は効率的・体系的であることに関しては非常に高精度に設計されているのですが、モチベーションを高める設計にはなっていないんですね。

中一とかの子に
「これをXとおくと・・・」
なんて言っても
「なんで??」
となってしまうのです。

つまり、「自分が今何をやっているのか、何の為にやっているのかがよくわからない」という現象が発生します。
学校ではよくわからないけど真面目にやる子が”いい子”だとされていますが、本当にそうですかね?
別にできなくても悪い子とは思わないですけど・・・





《義務になると面白くなくなる》

やれって言われるとやりたくなくなるんですよね笑
勉強以外の事もですけど。
「みんな我慢してやってるんだからお前も我慢しろ」とか
「そんなんじゃまともな大人になれないぞ」とかいっぱい言われるんですけど、

なんでだよ!って思いますよ。
別に指数関数が書けなくても大人になれるわ!って。
学歴が無くてもできる仕事なんか腐るほどありますよ。

「やらされている」「これができないと自分はダメだ」
という感覚で生きている方がよっぽど不健全だと僕は思いますけどね。



塾の生徒にも宿題やりたくなかったらやらなくていいと言っています。
なんなら授業来なくてもいいとも言っています。

変な義務感を植え付ける必要もないと思っているからです。

でも、学びたい気持ちに対しては全力で応えます。
単元の導入には豆知識や小話、現在どういう形で利用されているかということを話しますし、更に発展的な事を学びたい子には別のテキストも用意します。
質問されて僕も分からないことがあったら一緒に調べます。

その結果、僕の担当の子たちは平均してすごく成績が上がります。
やる気のない子は担当を外れるからです。

でもそれでいいんじゃないのかなと。
無理に類題を何個も解かせて「公式丸暗記しました、応用はできません」みたいな人間を世の中に送り出すことが僕の役目ではないと思っているので。




《効率を上げると面白くなくなるのか》

だいぶ話が逸れましたが、体系化して並び替えると効率が上がる反面、自分のやっていることの位置付けが不明瞭になってやる気が下がるということは上で述べた通りです。

では、効率と面白さは両立不可能なのかという話なんですね。

教科書を前から順に頭に叩き込めば一番効率が良いというのは確かでしょう。
でもそれができる人はなかなかいない。

じゃあ自分の興味のある所から順にやってみるというアプローチも時には考えてみるべきじゃないかなと。

例えば自転車に興味があったとして、ブレーキの制動距離について疑問を感じたとします。
色々調べてみた結果、速さの2乗に比例することがわかるかもしれない。
そうしたら二次関数について調べる必要があります。
調べてもわからなかったら変数と定数の置き方から調べないといけないかもしれない。
結局のところ数学の基礎から学ばないといけないということに気づくでしょう。

あるいはブレーキやタイヤの摩擦係数に関してもっと知りたくなるかもしれない。
そこでもやはり物理や化学の基礎部分に到達するはずです。

こんな風に、日常の疑問から徐々に基礎理論に落としていくという勉強もあってもいいんじゃないかと僕は思います。


もちろん、そんなことばかりやっていたらとんでもなく時間がかかりますし効率は悪いんですけど、そうやって調べたことは結構長く記憶に留まるものです。
幸い現代は調べるツールも多様化しているので、昔より情報にリーチしやすいんじゃないでしょうか。

全部これでやっていると当然時間がいくらあっても足りないのですが、訳も分からず席に座って先生の話を聞いているよりは、一つでも二つでもしっかりと理解した理論を持っているほうが余程効率的じゃないかなとも思います。

そして、初学者にとってはそのような日常の疑問に対して「何から調べればいいんだ??」となることも多いです。
指導者は調べるためのツールであったり考え方であったりということを教えつつアシストをしていくべきなんだろうと僕は思っています。



《おわりに》
効率を上げようとした結果効率が下がるというなんとも皮肉な話ではあるのですが、見直し・改善の余地は大いにあると思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
感想や質問は下のコメント欄にお願いします。
それではまた!


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