2017年11月10日金曜日

2016年流行語「保育園落ちた日本死ね」を日本語文法的に厳密に解釈してみたwww





2017年の流行語大賞のノミネートが発表された。

豊田真由子元議員の「ちーがーうーだーろ」
がノミネートされる中

「このハゲー!!!」
が落選するなどして、ツイッターなどでは

「選考基準がよくわからん」

などといった声が挙がっている。




確かによくわからない。

ハゲは侮辱的な言葉だからふさわしくないという観点で言えば、2016年の「保育園落ちた日本死ね」も大概だろう。


侮蔑的な言葉を世の中に出せないというのなら、あらゆるメディアが口を閉ざすことになる。



それとも「ちーがーうーだーろ」に何か特別な意味合いがあるのだろうか(たぶん無い)



そのようなことをあれこれと考えているうちに、そういえば「保育園落ちた日本死ね」ってめっちゃ興味深い文章じゃね?という気がしてきた。






お世辞にも綺麗な言葉とは言えない。
というより、はっきりいって汚い言葉だ。


単語のチョイスも野蛮だし、文全体としても整っていない。


要するに悪文である。


であるにも関わらず、多くの人間がこの投稿に反応を示し、物議を醸したのである。


ただの悪文は議論すらされずに記憶から抹消される

「保育園落ちた日本死ね」は世の中に溢れるただの悪文とは一線を画す。

どのような点が興味深いのかを考察していく。


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まず前半の「保育園落ちた」である。


一切の先入観と予備知識を捨ててこの字面だけを見たとすると、きっと意味がわからない。

こういうことなんじゃないかと推測する人がいたとしても、責められるものではない。

文字通り解釈するとこうだろう

だが実際のところ、このような勘違いをする人は皆無である。

「保育園落ちた」を読んだ誰もが

保育園(の受け入れに係る審査に)落ちた(から我が子を保育園に入れられなくて困る)

といったように自分の脳内で情報を補完することができる。




それはなぜか。

文脈からして誤った理解のしようがないからだ。

つまり、それだけ待機児童問題が深刻であり、保育園の受け入れ状況が厳しいという背景知識を皆が共有しているからである。



2017現在でもこういった問題は解決に至っていない。
現在世代だけでなく、将来のマンパワーといった観点からもシビアな問題なので活発に議論されるべきだろう。


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そして後半の「日本死ね」だ。

死ねという語尾からして、これは命令文だろう。
筆者から日本への命令である。

命令の対象を「日本」としている点が興味深い。

特定の誰か、例えば「○○保育園の園長」とか「行政職員の××」とかでなく、「日本」を相手取っているのだ。



この場合の日本というのは、単に「日本の国土」ということではなく、「政治や経済など様々な要素を集合した社会的共同体としての日本」という意味で用いられているだろう。


特定の人物の晒しあげではなく、不特定要素を多数有する社会に対する不満や苛立ちを文章にぶつけている点にレジスタンス精神を感じ取ることができる。

まさに時代の雰囲気を反映していると言えるし、潜在的にしろ顕在的にしろ、多くの国民に刺さるものなのである。




もう一つ気になったのが、「死ね」というワードチョイスである。
「滅びろ」でも「潰れろ」でもなく。

死ぬというのは命を失うことである。
逆に考えれば、死ぬという行為が完成するにはもともと命があることが前提となる

ということは、この投稿の筆者は日本国家が有機的生命体であるという世界観を持っていると考えられる。

ドイツ的ロマン主義の論者だろうか。
詳しくお話を伺いたいところである。





以上のように、「保育園落ちた日本死ね」という短文の中から多くの社会的事実を読み取れることがわかる。

逆に言えば、多くの社会的・文化的背景がこの短文をパワーワードに変えている。


これからどんな世の中になって、どんな流行語が生まれるのか。

世の中の片隅から見守ろうと思う。


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2 件のコメント:

  1. なるほど日本は生命体だったんですね

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    1. そうですね。死ねということは今は生きているという前提にたっていると考えられます。
      すでに死んでいるとの見方もあるかと思いますが…

      削除