SNS疲れしてない?現代的疲労感とは?対策はある?




こんにちは、こんばんは。

突然ですが、「自己表現」と言われて何を思いつきますか?
ファッションだったり、歌だったり、色々ありますね。
言語なんかもそうだと思います。
大統領演説のようなデカい規模のものでなくても、普段の話し言葉や書き言葉も、表現手段という点では同じです。
僕がブログを書くのも表現の一つです。


普通に生きていれば誰もが自己表現をしていると思いますが、なぜそれをする必要があるのでしょうか?
二点に分けて考えていこうと思います。





本能レベルの行動

僕が真っ先に思いついたのが、「伝えたいことがあるから」

元々情報伝達手段として言語が生まれたわけですし、その発展形として詩や歌というものが誕生しました。
情報の内容としては、生活レベルのことだったり、恋心だったり、社会への反発だったりと様々なのですが、「伝えたいことがある」という点では共通していると思います。

これは人間として当然の欲求ではないでしょうか。
なぜ当然なのかと言われると上手く説明出来ませんが、もはや本能レベルの議論ではないか思っています。
(根拠をもって説明できる方は、是非コメント欄にお願いします。)

この点で言えば、日本人は考えた事を他人に伝えるのが苦手な民族ではないかと思います。

恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす

という都々逸がありますね。

これは、「口に出してあれこれ言う者より、口に出して言わない者のほうが、心の中では深く思っていることのたとえ(故事ことわざ辞典)」なのですが、現代においてもベラベラ喋る人間はなんとなく軽薄そうに見えがちです。

欧米では喋ってなんぼみたいなところがあるようですし、「何も言わないのは何も考えてないのと同じ」なんて言われたりもします。

日本人の場合はたとえ思うところがあるとしても、まずは場の空気を読んでから言うかどうか決める人が多いんじゃないでしょうか。
(あくまで傾向の話です。よく喋る日本人もいれば、寡黙な欧米人もいます。)

この観点から見ると日本は自己表現が苦手になりがちな風土かと思いました。



でも日本人だって沢山の自己表現をしています。
次に進んでください。





あるべき姿

人が自己表現をする理由としてもう一つ思いついたことがあります。
それは普遍的かつ現代的と言えるのですが、こう見られたい自分」「そうあるべき自分」を様々な媒介物を通して表現している、と考えました。
(普遍的かつ現代的というのは何とも矛盾していますが、後で説明します。)


例えば「礼儀正しい人」と思われたい、またそうあるべきだという場面では、自然と丁寧な言葉遣いになりますし、服装もきちんとしようと考えるのが普通です。

「マナーとして当然だ。表現云々の問題じゃない」と思う方もいると思いますが、マナーは義務ではありません。破ったところで法に触れる訳ではなく、守るかどうかは個人の判断に委ねられています。
(実際問題としてマナーを守らないことによって社会的不利益を被る、ということはいったんおいておきましょう。)

そして僕が言うまでもなく、多くの人がその場面ごとに適した表現をしています。
それによって社会が円滑に回っていると言えますし、またその方が個々人にとっても好都合です。


「見せたい自分」「あるべき自分」を表現することは自然な行動と言えます。
それは時代や地域を問わず行われてきたこと、という意味で「普遍的という言葉を使いました。





では「現代的」とはどういうことか。
それは「見せたい自分」を表現する手段が多様化したことです。

インターネット機器の発達によって、多くの人が情報を発信できるようになりました。

僕が書いているようなブログもそうです。
ブログ一つとっても、僕のような雑記型もあれば、「○○のダイエット日記」のような特化型ブログもあったりと様々です。

ネット小説やイラストを投稿できるサイトもありますし、YouTube等の動画サイトに動画を投稿することもできます。

最も手軽な手段としては、SNSでしょうか。
「自分はこんな人間だ」ということを実に簡単に発信できるツールですね。


個人的な意見として、インターネットの発達によって表現手段が多様化したこと自体には、別に良いとも悪いとも思っていません。
社会の需要に合わせてツールを供給していった結果であり、かつてない便利さを享受できる反面、以前は存在しなかった新たなトラブルも発生している、ということを考えると、良いとも悪いとも言えるものではありません。



ただそのデメリットの部分を今日のブログテーマに沿って考えるとすれば、「見せたい自分」が肥大化し過ぎてている、ということでしょうか。

SNS疲れ」なんていう言葉も生まれたくらいに、「見せたい自分」を表現することに躍起になっている人が多いと思います。

ありのままの自分だけを表現していれば楽なのですが、どうしても見栄を張ってしまう。より良く見せようと思ってしまう。
面白い投稿をしたい、充実しているように見せたい、というような事を優先事項にするから疲れる訳です。

別にそういう欲求を持つこと自体は自然なことだと思いますし、僕だってそういう気持ちはあります。
ただそれが過剰になりすぎたり、理想の自分と実際の自分が大きく乖離してしまった時、「SNS疲れ」をはじめとする、かつての人類が経験していない悩みは深刻な問題になると思います。
(僕はこれらの問題を「現代的疲労感」と呼んでいます。)

最近では友人のふりをしてSNSにアップする用の写真を撮ってくれる業者なんかもあるようです。
(いよいよここまで来たか・・・と思うと同時に生きにくい時代なんだなと感じるところであります。)


もしこの記事を読んでくださっている方で、SNS疲れ等に悩んでいる方がおられたとしても、僕からはどうしてあげることも出来ません。申し訳ないです。
ただ個人的な意見としては、その過剰な自己表現に注ぐ労力のうちの少しでも実際の自分の為に使ってあげた方がいい、と思っております。


「現代的疲労感」解決に向けて一つのネックになるのが、過去の偉人は何の答えも示してくれないということです。
今の世代で始まったことなので先行事例の研究のしようがない、というのが難しいポイントですね。





話を自己表現に戻しますと、「そうありたい自分の姿」を表現すること自体は何も悪いことではありません。
ただ肥大化した自意識に本物の自分が押しつぶされるということになると話は別です。

僕も含めて皆さんが、なんとか自分なりの気持ちの良い表現ができるようになればいいなと思っております。


≪終わりに≫

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

感想や質問はコメント欄にお願いします。
また、ブログテーマも募集しております。(それもコメント欄へ。)

では今回はこの辺で。

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