質問をしない生徒たち~学校外教育の在り方は~



こんにちは、こんばんは!

僕は6年ほど塾の講師をしているのですが、最近気になることがあります。
それは「質問されることが減った」ということです。


3,4年前は、よく「なんで微分したら傾きがわかるのか」「どうして三角形の内角の和180度なのか」ということを質問されました。
(勤務時間外に対応していたのでそれはサービス残業という形になっていて困ってもいました)


ここ最近はそういうことが滅多になくなりました。


僕としては非常に楽なので助かっているのですが、生徒側としては同じ授業料なのに得る知識量が減っているのではないかと心配しています。





また、以前は講師のいうことに反発する子も多かったです。
「なんでこんなんやらなあかんの」とか、「こんな公式使う仕事ない」とか、
屁理屈のようでまあ結構真理でもあるなあというようなことで反論してくるんですね。

とはいえ彼らもバカではないので、僕はこういう考えがあってこういう課題を出しているんだ、ということを逃げずに真剣に説明すればほぼ全ての子が理解してくれましたが。
一度対立して、お互いの言い分を聞いて、納得しあうというステップがありました。




最近はほとんどの子がスッと指示通りに動いてくれます。
とても素直で可愛いですし、授業もしやすく、一度対立するというステップを省略できるのでスムーズに進行できて助かっているのですが、この子たちは本当に納得してやっているのだろうかと不安になりますし、なんだか彼らの主体性を奪っている気がして多少の違和感があります。



(もちろん一学年20~30人くらいの小さな塾ですので、今年たまたまそういう子が集まっているという可能性もあります。全国的な現象かどうかはわかりません。ですので、そういうところもあるんだーぐらいの気持ちで読んでいただければ十分です。)

ただ個人的な感覚としては、良くも悪くも”大人しくなった””従順になったという気がします。




何度も同じ様なことを言いますが、これは授業の進行上とても都合がいいです。
特に「テストで点を取る」ということに関しては最高だと思います。
講師の解説を聞いて、講師が選別した問題を解き、講師の出す宿題を提出する。
そうしていれば自然と点数は上がっていきますし、実際今の生徒たちも成績が上がっています。

それが塾の役目だと言えば確かにその通りではあり、その観点で考えれば僕は十分給料に見合う働きをしていると思います。




僕が心配しているのは彼らの将来です。
中学や高校を卒業して、適切なタイミングで適切な課題を出してくれる人間がいなくなったとき、彼らがどうするのかと。
また、意見を言い合ってお互いに納得するというステップを踏んでいないので、多様性のある社会で生きにくくなるのではないかとも思います。


うちの塾で成績トップの子は、新しい単元の飲み込みが早く、計算能力もあり、課題もしっかりとやってきます。(だからトップなのでしょう)
昨日その子に「何か質問はありますか」とこちらから水を向けたところ、「どういう質問をしたらいいですか?」と返ってきました。疑問に感じたことを普通にぶつけてくれればいいのですが…
疑問を感じることが無いのだそうです。


素直でいい子であるが故に、常に模範解答を探してしまうのではないかと思います。
また、僕が見せる解答例をそっくりそのまま吸収してしまう。
悪いことではないのですが、いいことでもないよなと思います。


当たり前ですが、世の中にある問題というのは絶対的な模範解答が見つからない、もしくは存在しない、仮にあったとしてもそれを選択できないということが多くあります。

大学の研究でもそうですし、企業の運営だってそうですよね。
そもそも問いの立て方から間違っていておかしな方向に議論が進んでいくこともあります。
(問いの立て方から間違っている例はこちら↓



そんなときに一問一答丸暗記型の人間が何もできなくなるのは明らかです。
人が示した答えを覚えるんじゃなくて、自分の頭でひねり出すことが求められる。



だから自分で問いを立てて、自分で調査し、結果を分析して、それをフィードバックして問いを立て直す、という練習を10代の内にしてほしいと思っている訳です。



何も日本経済の今後とかそういう難問と向き合えと言っている訳ではないです。
身近なテーマでいいです。
彼らにとって関心があると言えば受験勉強でしょうか。


○○大学合格という目標があるとして、現状足りものは何か、それを補うためにいつまでに何をするか、計画通りいかなくなった時どうやって立て直すか、そもそも現状分析に誤謬がなかったか。

言われた通りに頑張る、模範解答をきっちり覚える、ということももちろん必要なことではあります。
しかしそれ以前に「自分は何を頑張るべきなのか」「どう頑張るべきなのか」といったことを自分で考えながら受験勉強をすることでかなり頭のトレーニングになると思うのですが、実際それは講師の仕事となっています。




さっきも言ったように成績を上げるのが塾の役目なので僕のやっていることは正しいと思うのですが、だったら生徒たちはいつになったら自分で考える能力がつくのでしょうか。
もしかしたら僕が熱心に準備して授業をするほど、彼らの成長のチャンスを奪っているかもしれないとも考えてしまいます。

難しいですね。

でもこれこそ先述の”模範解答のない問題”だと思うので、自分なりに考えてその都度立て直しを図っていこうと思います。



本記事公開後1年が経って、答えの一つになりそうなものは見えてきています。
こちらもご覧ください:勉強の効率性と面白さはトレードオフなのか




今回は僕のお悩み相談みたいになってしまいました。笑
ご意見、ご感想はコメント欄にお願いします。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
次回も楽しみにしていただければ幸いです。

それではまた!


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コメント

  1. 自分にもそんな節があるかもしれないなぁと思いながら読ませていただきました。
    従順でいることはとても楽なことなんだと思います。ただ与えられたことをこなしていればそれだけでいいからです。
    ですが、楽な反面一定のライン以上の成長はできません。
    わたしも仕事中、上の立場に立ちたくないななどと思ってしまうことがあるので(責任逃れとも言う)、認識を改めないとなと思っています(笑)

    あと、これはわたしの勝手な推測ですが、疑問を感じる前に、勉強という行為が「作業」として認識されてしまっているのではないかなと思います。
    ただやっていればできるもの、みたいな。
    説明が下手すぎて何が言いたいのかよくわからない意見になってしまいました(笑)
    (最早意見というのかもわかりませんが)
    ただの若輩者の意見なので、聞き流していただいて大丈夫です。

    久しぶりに色々考えさせてもらいました。
    次回も楽しみにしています!

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    返信
    1. コメントありがとうございます。
      興味深いご意見だと思いながら読ませていただきました。


      皮肉的な言い方になってしまいますが、学校教育も、学校外教育も、「従順で淡々と作業をこなす若者」を育てることが目標なのであれば、現代教育は大成功だと思います。民間企業であってもそういう人材を一定数必要としているのは間違いありません。

      一方で主体的、能動的に考える力を必要とされる場面も多い。文科省の教育要綱にもそう書いてある。そのあたりの齟齬、矛盾、両立の難しさが、公教育システムに馴染めなかった僕にとっては違和感として映るのかもしれません。

      「勉強」=「作業」と化していることは僕も実感しています。大人がうるさいからやってる、という感じで。笑
      そこに疑問を感じて深掘りしていくことは時間の無駄のように感じるのかもしれませんね。

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