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学校と家庭の連携?ふざけるなよ!子供を潰す気か!

こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。
近年、教育における学校と家庭、或いは塾なんかも、連絡を密にして連携して子供に接するのが大切だとされています。 確かに親と先生とが全然違うことを言ってきたら子供は混乱します。 何を信じたらいいんだ? となることでしょう。 だからしっかりと連携を取って一枚岩の教育を実施するべきだという主張は至極真っ当であるという気はします。
ですが、タイトルからも想像がつくと思いますが僕はこの考え方に疑問を持っています。 親や先生の言うことをすんなり受け入れられる人はそれでもいいかもしれません。 でも、「なんか違うな」「そういうことじゃないよな」と思ってしまう子はどうしたらいいでしょうか。


《親とは、先生とは、大人とは》
例え親子であっても別の人間です。 どんなに長い時間一緒にいても、どれだけ大切に思っていても、感情や価値観はどうしても異なっていきます。 もちろん人間として当然守るべきこと(暴力はいけない、人のものを取ってはいけない、約束を守る、等)は親がしっかりと躾をするべきだと思いますが、社会的な価値観は親子であっても違って当然だと思います。

先生も同じです。 確かに先生は学習面では生徒・児童よりかなり進んでいますし、人生の先輩でもあります。 尊敬すべき相手ではあると思います。 しかし、人間として根源的に立場が上かというとそんなことはありません。 生まれつき偉いということは無いのです。 いつもいつも正しいことを言える訳でもありません。 そもそも「正しいことって何?」という話ではあります。
そう考えていくと、親も先生もいつでも子供の為になることを言える訳ではないのです。

当然ですが、大人たちは親切のつもりで子供に声を掛けます。 「勉強をしなさい」 「宿題はやったのか」 「この偏差値ならこの学校だな」 「そんなの社会では通用しない」 「世の中そんなに甘くない」 「もっと現実を見ろ」 ・・・・・・・ こういった言葉は別に意地悪をしようというのではなくて、基本的に子供の為を思って発されます。 (傷つけようとして言っている人はもう問題外なのでここでは触れません)


《子供だってわかっている、それでも》
子供だってそれくらいわかっています。 反抗的な態度をとっていても、心のどこかではわかっているのです。
でもそれがとてつもなく重荷に感じてしまう場合もあります。 頭では…

人生の大半は意味のないものでできている

こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。
先日、塾の生徒に聞かれました。
「三角形の合同証明なんてやる意味あるんですか?」
これは本当によく聞かれます。 合同証明、三平方の定理、円周角の定理、、、、 色んなパターンがありますが、本質的には同じ質問でしょう。
僕はこう答えます。
「意味ないよ。大人になったら使わないよ。」
もちろん使う人もいるのでしょうが(僕はそれを教えるのが仕事なので使っていますが)、多くの人々は三平方の定理を忘れてしまっても生きていけるでしょう。 現に僕の母は、僕が教えるまで三平方の定理を知りませんでしたが、この放蕩息子が成人するまでちゃんとご飯を食べさせてくれました。
三角形の合同証明ができてお金を稼げるかといえばどう考えても稼げないですし、これが出来るか出来ないかで人間としての価値が上がったり下がったりすることも無いと思います。
「じゃあどうしてやるの???」
という顔をされます。 そんな時によく話すのは、こういうことです。


《これまでの人生でどれ程意味のあることをしてきたか?》
僕は小学生の頃、休み時間になるとドッジボールをしていました。 ボールを2個にしてみたり、3個にしてみたり、外野を全方向にしてみたり、リーグを作って星取り表を書いてみたり・・・ ドッジボール一つでよくそんなに楽しめるなってくらい遊びました。
勝っても負けても特に報酬もペナルティも無いのですが、それでも必死でした。
「それ、がんばって意味あるの?」
どう考えても意味なんて無いでしょう。 ドッジボールのプロになろうなんて1ミリも考えていませんでしたし、そもそもドッジボールのプロリーグなんてあるの???
勝とうが負けようが、実利的な事なんて何一つないんですよ。
「昔、ドッジボール強かったです。」
で合格できる大学や、採用してくれる企業なんてないですよね。
じゃあこれは無駄な時間だったと思いますか? この時間を使って実利的な勉強をした方がいいと思いますか?

また、放課後になると、秘密基地を作っていました。 ※参考:秘密基地、人生で一度は経験してほしい これもまた果てしない無駄ですよね。
「作ってどうするんだよ」
と言われればそれまでです。 それはそれは真剣に作戦を練って防衛線を張っていたのですが、一体何と闘っているんだよと。
そんな少年時代でした。



《意味なんて後からわかればいい》

人生で大切なことは数学から学んだ

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こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。

数学なんて役に立たない! 大人になって二次方程式を解くことなんかない!
としばしば耳にします。
それはそうでしょう。 二次方程式もサインコサインも多くの人は使わない。
だからと言って、「だから数学を勉強しても無駄」というのは早計です。 数学で大切なのはその問題が解けることではなくて、”考え方”を身に付けることです。
何歳になっても勉強はできますが、大人はなんだかんだと理由をつけてやらないので10代のうちにできるのであればその方がいいです。


《帰納と演繹》
僕がよく数学やってよかったと思うのは、帰納法と演繹法をつかって物事を整理するときです。
帰納とは、具体例を集めて一般解を導くこと。
学校の数学でも「数の規則性」という単元で勉強します。 高校でも数学的帰納法というのがあります。
一番目 二番目 三番目 四番目 ・・・ n番目 2 4 6 8  
???
こんな感じで数が並んでいる時にn番目は?(nに何を代入しても成り立つのは)と考えます。 この場合は2nですね。 これはかなり簡単な例ですが、難関受験でもやっていることは基本的に同じです。 分かっている事例を手掛かりに一般的な解(nになにを入れても成り立つ)を探しているのです。

これは日常生活にも応用できます。
帰納法は結果が全然予測のつかない初手の段階で有効です。 例えば地球に来たばっかりで、地球の天候の事を何にも知らない宇宙人がいるとします。(いない)
彼は地球の至る所に行くことが可能です。
アラスカに行ってみた。寒かった。 シベリアに行ってみた。寒かった。 ノルウェーに行ってみた。寒かった。
あれ・・・?もしかして・・・? 北極付近の地域全部寒いんじゃね!?
これが帰納法です。 個別の観測を基により一般的な事実を導くのですね。 そして北極付近の地域は全部寒いということに一旦気付けば、グリーンランドなどは行かなくても寒いと分かる訳です。


これに対して演繹では、一般的事実が分かっている前提で個別の具体例をチェックします。
さっきの宇宙人で言えば、極付近の地域は寒いということを理論的に理解している状態です。 ホントにそうかな?とシベリアやアラスカに行ってみて、ほらやっぱり寒いとなるわけです。 もし例外を見つけたら、理論の方を見直すんですね。 こういう考え方を演繹法と言います。
入試の数学は…

やっぱり僕は人と話すのが好きだった

こんにちは、こんばんは。
勉強するにしても、仕事をするにしても、基本的には一人でやるのが効率がいいかなと僕は思っています。 ※参考:「独学力」のススメ!早く安く大量の知識を手に入れよう。
「受験は団体戦」なんて言葉もありますが、結局試験は一人で解かないといけませんし、まあ独学に慣れておいた方がいいかなと。 慣れてくれば授業を受けたりなんだかんだするより確実にペースは上がりますし。 特に演算系は一人でやるのがいいかなと。思っていました。 最近まで。



《でもいざやってみると》 実際ここ数年の僕は一人で何かをする時間がとても長くなっていました。 勉強はほぼ独学ですし、フリーランスの仕事はそれこそ一人でやるしかありません。 調査も実務も評価も一人でやってきました。

それなりに結果も出てきていました。そう思おうとしていました。
でも最近友人を話す時間が増えてきて(というより意図的に増やして)、更に効率が上がった感じがします。 ずっと一人で作業をするのは効率が悪かったのです。




《不完全な人間、不完全な僕》
例えば僕が体調も気分も関係なく一定のペースで仕事ができる人間だとしたら、こんなことは言い出さなかったでしょう。 ですが幸か不幸か僕は血の通った人間です。 体調が悪い日もありますし、モチベーションが上がらない日もあります。
精神的に落ち込むと体調が悪くなったりもしますし、逆に頭痛などをきっかけに気分が落ち込むこともあるのです。



《友人がいるということ》
そんなときにちょっと一緒にご飯を食べたり、ちょっと冗談を言ったりといった相手がいるだけで随分とリフレッシュできます。 そういった日常の一コマの積み重ねこそが僕という人間で、それがとてつもなく大きな力となっていたのでした。

ずっと色んな人に助けてもらいながら生きてきたのです。 時に意識的に、時に無意識的に、動もすればぽっきりと折れてしまう僕を色んな人が支えてくれていたのです。
今までだってずっとそうしてきたのです。 どうして、どうしてこんな簡単な事を忘れていたのか、不思議なくらいです。



《無神経というか、傲慢というか》
一人でやって結果を出せることがしばらく続きました。 そのせいか「人に頼るのは時間の無駄。自分でやった方がいい」みたいな気になっていました。
まあ傲慢と言えばそれまでなんですけど、そういう気分でした。
或いは焦っていた。余…