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人生の大半は意味のないものでできている

こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。
先日、塾の生徒に聞かれました。
「三角形の合同証明なんてやる意味あるんですか?」
これは本当によく聞かれます。 合同証明、三平方の定理、円周角の定理、、、、 色んなパターンがありますが、本質的には同じ質問でしょう。
僕はこう答えます。
「意味ないよ。大人になったら使わないよ。」
もちろん使う人もいるのでしょうが(僕はそれを教えるのが仕事なので使っていますが)、多くの人々は三平方の定理を忘れてしまっても生きていけるでしょう。 現に僕の母は、僕が教えるまで三平方の定理を知りませんでしたが、この放蕩息子が成人するまでちゃんとご飯を食べさせてくれました。
三角形の合同証明ができてお金を稼げるかといえばどう考えても稼げないですし、これが出来るか出来ないかで人間としての価値が上がったり下がったりすることも無いと思います。
「じゃあどうしてやるの???」
という顔をされます。 そんな時によく話すのは、こういうことです。


《これまでの人生でどれ程意味のあることをしてきたか?》
僕は小学生の頃、休み時間になるとドッジボールをしていました。 ボールを2個にしてみたり、3個にしてみたり、外野を全方向にしてみたり、リーグを作って星取り表を書いてみたり・・・ ドッジボール一つでよくそんなに楽しめるなってくらい遊びました。
勝っても負けても特に報酬もペナルティも無いのですが、それでも必死でした。
「それ、がんばって意味あるの?」
どう考えても意味なんて無いでしょう。 ドッジボールのプロになろうなんて1ミリも考えていませんでしたし、そもそもドッジボールのプロリーグなんてあるの???
勝とうが負けようが、実利的な事なんて何一つないんですよ。
「昔、ドッジボール強かったです。」
で合格できる大学や、採用してくれる企業なんてないですよね。
じゃあこれは無駄な時間だったと思いますか? この時間を使って実利的な勉強をした方がいいと思いますか?

また、放課後になると、秘密基地を作っていました。 ※参考:秘密基地、人生で一度は経験してほしい これもまた果てしない無駄ですよね。
「作ってどうするんだよ」
と言われればそれまでです。 それはそれは真剣に作戦を練って防衛線を張っていたのですが、一体何と闘っているんだよと。
そんな少年時代でした。



《意味なんて後からわかればいい》

人生で大切なことは数学から学んだ

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こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。

数学なんて役に立たない! 大人になって二次方程式を解くことなんかない!
としばしば耳にします。
それはそうでしょう。 二次方程式もサインコサインも多くの人は使わない。
だからと言って、「だから数学を勉強しても無駄」というのは早計です。 数学で大切なのはその問題が解けることではなくて、”考え方”を身に付けることです。
何歳になっても勉強はできますが、大人はなんだかんだと理由をつけてやらないので10代のうちにできるのであればその方がいいです。


《帰納と演繹》
僕がよく数学やってよかったと思うのは、帰納法と演繹法をつかって物事を整理するときです。
帰納とは、具体例を集めて一般解を導くこと。
学校の数学でも「数の規則性」という単元で勉強します。 高校でも数学的帰納法というのがあります。
一番目 二番目 三番目 四番目 ・・・ n番目 2 4 6 8  
???
こんな感じで数が並んでいる時にn番目は?(nに何を代入しても成り立つのは)と考えます。 この場合は2nですね。 これはかなり簡単な例ですが、難関受験でもやっていることは基本的に同じです。 分かっている事例を手掛かりに一般的な解(nになにを入れても成り立つ)を探しているのです。

これは日常生活にも応用できます。
帰納法は結果が全然予測のつかない初手の段階で有効です。 例えば地球に来たばっかりで、地球の天候の事を何にも知らない宇宙人がいるとします。(いない)
彼は地球の至る所に行くことが可能です。
アラスカに行ってみた。寒かった。 シベリアに行ってみた。寒かった。 ノルウェーに行ってみた。寒かった。
あれ・・・?もしかして・・・? 北極付近の地域全部寒いんじゃね!?
これが帰納法です。 個別の観測を基により一般的な事実を導くのですね。 そして北極付近の地域は全部寒いということに一旦気付けば、グリーンランドなどは行かなくても寒いと分かる訳です。


これに対して演繹では、一般的事実が分かっている前提で個別の具体例をチェックします。
さっきの宇宙人で言えば、極付近の地域は寒いということを理論的に理解している状態です。 ホントにそうかな?とシベリアやアラスカに行ってみて、ほらやっぱり寒いとなるわけです。 もし例外を見つけたら、理論の方を見直すんですね。 こういう考え方を演繹法と言います。
入試の数学は…

やっぱり僕は人と話すのが好きだった

こんにちは、こんばんは。
勉強するにしても、仕事をするにしても、基本的には一人でやるのが効率がいいかなと僕は思っています。 ※参考:「独学力」のススメ!早く安く大量の知識を手に入れよう。
「受験は団体戦」なんて言葉もありますが、結局試験は一人で解かないといけませんし、まあ独学に慣れておいた方がいいかなと。 慣れてくれば授業を受けたりなんだかんだするより確実にペースは上がりますし。 特に演算系は一人でやるのがいいかなと。思っていました。 最近まで。



《でもいざやってみると》 実際ここ数年の僕は一人で何かをする時間がとても長くなっていました。 勉強はほぼ独学ですし、フリーランスの仕事はそれこそ一人でやるしかありません。 調査も実務も評価も一人でやってきました。

それなりに結果も出てきていました。そう思おうとしていました。
でも最近友人を話す時間が増えてきて(というより意図的に増やして)、更に効率が上がった感じがします。 ずっと一人で作業をするのは効率が悪かったのです。




《不完全な人間、不完全な僕》
例えば僕が体調も気分も関係なく一定のペースで仕事ができる人間だとしたら、こんなことは言い出さなかったでしょう。 ですが幸か不幸か僕は血の通った人間です。 体調が悪い日もありますし、モチベーションが上がらない日もあります。
精神的に落ち込むと体調が悪くなったりもしますし、逆に頭痛などをきっかけに気分が落ち込むこともあるのです。



《友人がいるということ》
そんなときにちょっと一緒にご飯を食べたり、ちょっと冗談を言ったりといった相手がいるだけで随分とリフレッシュできます。 そういった日常の一コマの積み重ねこそが僕という人間で、それがとてつもなく大きな力となっていたのでした。

ずっと色んな人に助けてもらいながら生きてきたのです。 時に意識的に、時に無意識的に、動もすればぽっきりと折れてしまう僕を色んな人が支えてくれていたのです。
今までだってずっとそうしてきたのです。 どうして、どうしてこんな簡単な事を忘れていたのか、不思議なくらいです。



《無神経というか、傲慢というか》
一人でやって結果を出せることがしばらく続きました。 そのせいか「人に頼るのは時間の無駄。自分でやった方がいい」みたいな気になっていました。
まあ傲慢と言えばそれまでなんですけど、そういう気分でした。
或いは焦っていた。余…

結局僕は何がしたかったのか

こんにちは、こんばんは。 人生全部が成長期、思春期おじさんです。

色んなことに手を突っ込んではバタバタと動き回っていた僕なのですが、昨日はふと学校も仕事もぽっかりと穴が開いてしまって。 久しぶりに自分の時間が出来たのでゆっくりと小説を読んだりギターを弾いたりしていました。 一日中誰とも話すことが無かったので必然的に自分の声に耳を傾けることになりました。

お前はどうなりたい? 今の生活は満足か? 落ちこぼれのお前に何ができる?
こういった自問自答に陥ることとなりました。 思考の深みにはまってしまった訳です。

《あるブログと出会った》 こうなると抜け出すのは大変で、どうしてもネガティブな方向に行ってしまいます。 そんな中でとあるブログを読みました。
これからの方向性を考えるときはまず自分史に立ちかえる | jMatsuzaki 「自分史を作る」 これは良いと思ってやってみた訳です。

予想以上に負担のかかる作業でした。 記憶を掘り起こし、感情を呼び起こし、現実と照らし合わせては落胆し。 そういう業の時間となりました。
でもその甲斐あってか、絡まり合った思考が少し解きほぐれた感じはしました。
幼少期から小学校、中学校、高校、大学、フリーター時代、、、、、 思い出を書き出し、仲の良かった人やお世話になった人を思い出し、好きだった音楽を思い出し、そうしているうちに人生の中でずっと考えていたことが明らかになってきました。

人と違うことをしたかった。 変わってるねと言われたかった。 カッコいいねと言われたかった。
それは異性にモテるということではなくて、同性から見ても友人としてカッコいいという意味で。
型破りでありたかった。 常識に囚われたくなかった。
ロックでありたかった。
音楽をやるかどうかは別にして、感情を揺さぶられればそれはロックだと思った。
そう、僕は心に刺さる経験が大好きで、そういった言葉や思考に出合いたくて、自分もそうありたいと願って、無茶なことをやってきたのでした。
手作りの釣り竿で釣りに行った。 廃材を集めて小屋を作った。(失敗した) 徹夜で謎の彫刻を作った。 リレー小説を書いた。 ラジオ番組を作った。(5人くらいしか聞いてなかったけど) 恥ずかしいような拙い詩も書いた。 カードゲーム作りもした。
正しいことよりも、響くことが欲しかった。
そうやってずっと生活してきたのでし…

なんか最近大学が楽しくなってきた

こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。
他の記事でもちょくちょく言っているように、僕は22歳の時に大学に入りました。 それまで何をしていたのかと言うと、「アルバイトをしつつ、ハローワークに行きつつ、受験勉強をする」という謎の生活を送っていました。

そんな感じで大学に入ったのでなかなか馴染めませんでした。

同級生もみんな年下ですし、かといって年上らしい振る舞いができるという訳でもなく。 共感できるような受験あるあるもなく。 ウェーイwwとサークルや飲み会をやる気分にもなれず。 授業も簡単で、進むのが遅いし。 かといって自主休講ばかりしていると単位が出ず。 (本当に留年の危機を感じました)

とにかく楽しくなくて、オリンピック種目に「大学行きたくない」があったら日本代表候補なんじゃないかっていうくらい。



《ところがどっこい》 なんとか3年になって、もうすぐ25歳になるという現在、なんだか楽しくなってきたんですね。 本当に不思議で、何か大きなきっかけがあったという訳でもなくて、でも確かに何か今までと違うんです。

ある人と親しくなったこと、学問的に認められるようになってきたこと、昔の友達に会いに行きまくったこと、小さな常識を打ち破ったこと。 一つ一つは日常の些細な一コマで、メンタル改革を起こすようなものではなかったのですが、それが上手く噛み合ったというか、歯車が回り出したというか、まあそんな感じで事態が好転していきました。
今では大学に入ってよかったと思っています。 理由を項目に分けて説明していきます。



《図書館等の施設が利用できる》
これはかなり大きなメリットですね。 勉強場所が確保されているのはもちろん、読み切れないくらいの本が無料で読めますし、海外の新聞や雑誌も無料で読むことができます。 パソコンもありますし、枚数制限はあるもののプリンターも使えます。 横になって仮眠のとれる場所もありますし、一日中大学にいることも増えました。


《授業を聞ける》
あれほど行きたくなかった授業なのですが、楽しみ方がわかってきました。 大幅に予習をしてから出席するのです。 そうすると、「僕がこう使っている理論を先生はどう説明するんだろう?」という目線で見ることができます。 大学の先生というのはその道の専門家なので、その人がどんな言葉で表現するのかは非常に興味深いものであります。 教える…